こんにちは!アニマルコミュニケーターの ぬくい陽子です。
先日お空へ旅立った れもんさん と、
2回目のアニマルコミュニケーションをさせていただきました。
先輩犬の そらくん が旅立って約1年半後でした。
飼い主さんは、
『れもんはそらの後を追って行ってしまったのかな』と思うこともあったそうです。
確かに、そらくんがいなくなって寂しい気持ちや、
心にポッカリと穴が開いたような喪失感は、れもんさんから伝わってきました。
でも、
「そんな風に考えないで欲しい!」
「私は私の命を生きただけ」
そう、キッパリ。
あくまでも自分主体で、自分の命を全うしたのだという、強い意思が伝わってきました。
これは、私が後で個人的に思ったことですが…
そらくんの旅立ちという出来事を「寂しい」と受け止めたら、
その瞬間から、その出来事や感情は自分の世界の中の問題。
だから、その出来事をどうとらえて、どう感じながら生きるかは、自分次第。
そらくんが「寂しいと感じて欲しい」と求めているわけでもないし、そらくんの旅立ちは必ずしも寂しいだけの出来事ではない、かもしれない。
「寂しい」と感じるのだとしたら、それを選択したのは、自分自身なのだ。
だから、その寂しさをそのまま抱えながら生きるのも、生きるエネルギーに変えていくのも、
自分が選択した自分の生き方なのだ。
それが、れもんさんの
「私は私の命を生きただけ」の言葉の意味するところではないのかな。
…人間なもので、ついゴチャゴチャまわりくどく考えてしまいましたが💦
自分の命は自分主体で生きる。
動物達はシンプルに当たり前に理解していることなのかもしれないですね。
そらくん、れもんさん、ママさん
ありがとうございました💕
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